第1章 オンライン英会話編
第1話 坐して死すなら打って出る
たんなるバイク便です
そもそも私はただのバイク好きのバイク乗りです。
バイクが好きでバイク便を始め、好きなバイクのメインテナンスの為にバイク屋を作り、好きなバイクを輸入したくて輸入業を始めました。
24年前の1992年、26歳で始めたバイク便では誰も目を付けていなかったルート配送に着目して生き残りました。その後8年経った34歳でバイク屋を始め誰もやっていなかった輸入スクーター専門店を作ったのです。今でも日本一ヨーロッパのスクーターを販売しています。39歳で始めた輸入業ではイタリア第二位のスクーターメーカの総輸入元をやり、年に3~4回はイタリアへ行きます。そこで知り合ったイタリア人と話したくて始めた英語で2009年、44歳の時、世界に打って出る切符を手に入れたのです。
今、セブ島でオンライン英会話とフィリピン留学を同時に行うフィリピン最大の英会話学校を経営しています。従業員は世界で1000人を超え、セブ島にいる教師700人が世界中にいる10万人を超える会員にオンラインで授業をし、世界中から訪れる年間6000人のフィリピン留学生に教えています。
好きな事だけをしてきた人生
私は高校しかでていませんが恵まれた人生だと思っています。好きなバイクで仕事をして好きなバイクに囲まれ、子供の時に夢見た世界を駆け巡る仕事をしています。南の島で生活をして、たくさんの国々の人と働き、6か国にある事務所を行き来しているのです。
フィリピンに来る前もやりたいことをやって来た人生ですが英語を話す事によって劇的に変わりました。本来であれば私の人生は好きなバイクに囲まれて終わる予定だったのです。しかし外国人とコミュニケーションがとれることにより新たな扉が開いたのです。
海外でのビジネスは想定外の連続で常に先がわかりません。しかし先の見えない中を全力で走っていると無心にアクセルを開けていた走り屋時代を思い出します。
初めて走る峠道を全開で攻めながら、次のコーナーの後、道はどうなっているのか? どんな景色が広がっているのか? ワクワクしながら走っている心境なのです。
オンライン英会話を始める前は可能性がどんどん減ってきていると思っていました。しかし国内にいる時には決して探せなかった扉が一歩海外へ出ることによって見えたのです。
私はバイク便から初めてバイク屋、輸入業と続け、世界の扉を開くまでに18年を費やしてしまいました。やっと開いた扉の先には本当にたくさんのビジネスチャンスがあったのです。人生が複数回あるのであればやってみたいことがオンパレードです。こんな素敵な世界を知らずに死ぬのは勿体なすぎます。
是非、周りを見渡してください。どれだけ英語が話せる人がいますか? 殆んどいないと思います。
昔、車の免許が希少だったころは免許があるだけで有利にはたらきました。パソコン普及するまではコンピュータが少しわかるだけで重宝されたのです。今、英語が話せると言う事は運転免許やパソコンを先駆けて持つことなのです。普及してしまうと持っているだけでは差別化ができず熟練したスキルが必要になります。しかし今なら英語を高度に話す必要がありません。私のように40を過ぎてから習ったレベルで十分競争できるのです。
こんなチャンスはありません。まだほとんどの人が英語を話せると言うだけで人生が変わる事に気付いていないのです。私は英語が話せるようになりフィリピンでの英会話事業を初めました。
これからオンライン英会話とフィリピン留学を作った経験を通じて高卒の私がどうやって新しいビジネスのヒントを見つけ、どのようにしてエリートと戦い、ビジネスを実現さて行ったかお話します。バイク便の私でもできた方法です。業種は問いません。経験も問いません。誰にでもできる方法です。