頼もしい仲間。問題は乗り越える為にある | QQ English創業物語 | オンライン英会話ならQQEnglish

新規登録・無料体験
はこちらから
CLICK
  1. オンライン英会話ならQQ English
  2. QQ English創業物語
  3. 頼もしい仲間。問題は乗り越える為にある
QQ English創業物語

第2章 フィリピン留学編

第32話 頼もしい仲間。問題は乗り越える為にある

中国人の弟「王軍」

すこし説明しなくてはなりません。
オンライン英会話とフィリピン留学の本丸は中国進出だと思っています。日本でノウハウを蓄えたら攻め込む予定です。
フィリピンでレストランをやっていたので人脈ができオンライン英会話事業、フィリピン留学と発展しました。中国でも同じ作戦を考えたのです。フィリピン留学を始めてすぐに中国にもレストランを出したのです。
手伝ってもらったのが弟の中国人です。
硬い「絆」で結ばれた心の弟です。
王軍でワンジンと呼んでいます。10年前の2005年、日本への留学生として私の実家にホームステイをした「縁」で知り合ったのです。
英語が苦手でアメリカに留学して並み居るエリートと競争するのが嫌で「ライバルが少ない日本を選んだ」と言うのが気に入りませんが、何も話せない状態から7か月で日本語検定一級を取ったのですから立派です。
彼は中国で一年飛び級をしている秀才で、小さいころから一学年上の学級に入れられていたのです。
日本の大学院をでて一流企業に勤めていたのですが私がオンライン英会話を作ったのを期に移ってきたのです。

ワンジンは学生時代私のバイク便でバイトをしていました。
初めは日本語が話せないので皿洗いのバイトをしていたのですが、何か知的な仕事がしたいと言うのでバイク便の経理を見させたのです。もちろん経理の勉強などしたことがなく、日本の常識もわかっていなかった頃です。
「そんなにやりたいのならこの本を一冊読んで理解してこい」と「誰でもわかる優しい経理」のような題名の本を一冊渡したのです。まだ日本に来て半年程なので日本語もそれほど上手ではありませんでした。
「2週間で大丈夫だ。兄さん2週間後から働かせて欲しい」と言って本当に2週間で理解しては手伝い始めたのです。今でも彼が作った経理のシステムをバイク便は使っています。
大学院を出てもバイク便を手伝うと言っていたのですがさすがに彼を使いこなすほどの仕事がないのとバイク便ではビザを取ってあげることが出かなかったので別の会社に就職したのでした。

英会話事業を始める時
「兄さんが勝負するなら給料が半分になってもついていく」
と言って会社を辞めて入ってきました。彼の苦手な英語を使うビジネスであるにもかかわらず手伝ってくれたのです。今では一緒に並み居るエリートと戦っています。そしてワンジンの苦手な英語なのですから人生なにがあるかわかりません。

英会話学校で言葉はいらない

上海にはオンライン英会話とフィリピン留学用のオフィスもあるのですが2009年からレストランもやっています。田子房(タゴボウ)と言われる、昔フランス人街だった所に芸術家やカフェが集まってできたおしゃれなエリアです。その中の中央にあって自分で言うのもなんですが素敵な日本食レストランです。
ノリさんに中国で修業してもらう方法も考えたのですが言葉が分からないのでできなかったのです。
「ワンジン、フィリピン留学用にレストランをオープンさせるから誰かシェフを呼んでくれないか」
ワンジンが店長を連れてセブに乗り込んできました。
店長のシャオチュウとも、6年の付き合いになっています。
中国に行くといつも僕の好きなものを出してくれるとても腕の良いシェフです。
シャオチュウが
「らいこうはレストラン経営をなめている。僕も日本食レストランで8年修行してそれから独立したんだ。それでも新しいお店をやるのは大変なのに3か月のトレーニングで店が出せるわけがないだろう」
さすがに今回のレストラン計画は無謀だったので怒っています。
「いつもらいこうはいきなりだ。今更どうにもならないからメニューは最低限に減らして、とにかく早く、レストランをオープンさせてしまおう。僕がいれば何とかなる。いる間に体で覚えてもらうしかない」
シャオチュウも一国一城の主です。どんな状況でも言い訳ができないのがビジネスだと思ったのでしょう。直ぐにやれる方法を考えました。
シャオチュウの初めての海外旅行がセブだったのですが最後まで海が見られませんでした。滞在中の3週間弱、厨房の中から出られず、セブがリゾートアイランドだと知らずに帰ってしまったのです。

先ず市場に行きました。フィリピンで何の食材が手に入るのかわからないと話にならないので仕入れが始めです。それから直ぐに厨房に入り日本料理を全く知らないフィリピン人シェフ3人とメニュー作りが始まりました。
素人のノリさんではまるで進まなかった開店準備がシャオチュウの加入で動き出したのです。
初めは英語も日本語も話せない、いきなり来た中国人が仕切れるのか不安でした。
「大丈夫だよ、今までも日本人に交じって修業してきたんだ。言葉なんて関係ない。厨房は任せておいて」
さすがでした。シャオチュウが包丁を持って料理を始めたらすぐにフィリピン人シェフが注目したのです。料理人同士シャオチュウの腕が分かるのでしょう。背筋をすっと伸ばして食材をさばいていく姿は迫力があります。フィリピンのシェフはすぐにシャオチュウに従うようになったのです。
職人の世界に言葉はいらないのですね。これではオンライン英会話もフィリピン留学も成り立ちませんがそう感じました。

ラーメン男でブラックリスト

いつも飛行機に乗る時に聞かれることがあります。
「今日はラーメンのタレをお持ちですか?」
どうも私は航空会社にラーメンのタレの運び屋だと思われているのです。
フィリピン留学で使うラーメンのタレなのですがどうしても日本から持っていかないと美味しくなりません。もちろんスープを作る豚骨などの食材はセブの地元の物を使っているのですがラーメンの基本となるタレは日本から運んでいるのです。
実は一度、成田空港で飛行機を遅らせてしまいました。その時はマニラ経由だったので定刻出発世界一を競っている日系の飛行機会社です。
業務用の醤油ダレなので外は何も印刷されていない一斗缶です。もちろん機内預けにするのですが出発する直前に放送で呼び出されてしまいました。
「マニラに出発の藤岡らいこう様、、、」
空港でいきなり名前が呼ばれた時の恥ずかしさと不安は想像してもらうしかありません。
一斗缶を危険物で無い証明をしなくてはならなかったのです。外に成分表でも貼ってあればOKだったのですが何も書いてありません。醤油ダレだとわからないのです。それからが大変でした。業者に言って成分表を送ってもらうとか考えたのですが出発までに間に合いません。ついに出発10分前、思いつきました。
「フタを開けて舐めて見せれば良いんだ」

結局、梱包のやり直しなどで定時出発世界一の飛行機を5分遅らせてしまったのです。
それから私は航空会社のブラックリストです。どうも航空会社のコンピュータに「ラーメン男」と記入されているようで受け付けをするたびに聞かれるのです。
「今日はラーメンのタレをお持ちですか?」
イタリア出張も、中国へも韓国にも、そして先日ドバイ経由でイランに行った時も聞かれました。

話をレストランのオープニングに戻します。
ノリさんはたった3か月の修業ですからラーメンの味が上手くでなくて困っていました。
水も問題が大きかったです。東京では軟水なのですがセブは硬水です。上手く出汁がでないのです。また少しでも食材が変わると上手くいかず、何回やり直しても美味しくできませんでした。
10年のキャリアがあるチャオチュウが手伝ったら一発です。硬水、軟水、材料、などは関係ありません。素晴らしい味を直ぐに作り上げ三日も経たないうちにオープンの準備を整えたのです。
メニューは焼き鳥を中心の居酒屋料理にラーメンです。ついにフィリピンの食材を活かしたお店が出来たがったのです。余談ですがフィリピン留学の学食が日本食だけでなく中華料理や韓国料理が出せるのはシャオチュウのおかげなんです。
「僕が居られるのはあと2週間、中国のお店を長く開けられないのでどうしてもあと1週間で鍛え上げる。オープンは1週間後だ。みんながんばろう~」

2012年8月1日、オープン当日は日本語の話せるワンジンをレストランに呼び寄せ、通訳をさせながらの開店です。
一番大変だったのが中国語と日本語と英語が分かるワンジンだったのかもしれません。
ラーメンはノリさん担当でワンジンはグリルの前で終日焼き鳥を焼かされ、チャオチュウが中国語で支持をするのを英語や日本語に訳してフル回転でした。
普段フィリピン留学で受付をしているスタッフも、オンライン英会話のガイダンススタッフも寮を管理するスタッフも、掃除のスタッフも空いているものはすべてエプロンをつけて皿洗いや、テーブルの片づけやら、呼び込みやらで頑張ったのです。人情がここ一番を助けてくれたのです。ごちゃごちゃでしたが記憶に残るオープンでした。

セブ島にきてからあっという間に時間が流れて行きます。南の島ののんびりとした空気に逆行しバタバタしていたのですが少しずつ何かが変わりはじめました。