第2章 フィリピン留学編
第33話 小さな芽、少しずつ変わり始めたⅠ
新しい変化
今年でオンライン英会話とフィリピン留学に参入して7年になります。少しずつですが変化が表れてきたのです。
去年は3人のフィリピンの先生が日本へ行きました。明治大学の客員教授として行ったのです。セブ島で初めて教授ビザを取り日本へ渡ったフィリピン人でした。三か月の間でしたが先生として教壇に立ち日本の大学生に直接教える事ができたのです。
明治大学との不思議な「縁」は5年前でした。私達がやっているカラン・メソッドを見つけた高木教授が私達の東京オフィスに乗り込んできたのです。東京には英語事業の専用のスペースはなくバイク便事務所の片隅でやっています。
バイク屋の屋根裏にあるバイク便事務所に大学教授が来られたのは初めてでした。バイク便ライダーが闊歩するオフィスは大学教授にとって想像を絶する世界だったと思います。
二人はロンドンの変わったメソッドとお互いの体験談で盛り上がり、いつしか大学の英語改革の話になり、ついにオンライン英会話とフィリピン留学を使い50年間変わらなかった英語教育を一緒に変えていく決意をしたのです。今ではフィリピン留学だけでなくオンライン英会話で明治大学を始め杏林大学、実践女子大学、共愛学園前橋国際大学など25校で採用されています。
今年からはオンライン英会話を使い日本の大学生とフィリピンの大学生が文化交流会を始める所まできたのです。
初めてフィリピン留学に来てから10年の歳月が経ち街並みも変わってきました。その時は信号も少なく、あっても3台に一台は動いていないと言った感じでした。今では交通量も増えあちらこちらで渋滞しています。公共交通機関が発達していないのでジプニーと言う乗合バスのような車がたくさん走り賑わっています。当時は毎日のように停電していたのが最近めっきり減ってきました。
ITパークも当初5棟しかビルが建っていない大きな空地のような場所でした。今では20棟以上のビルが立ち並びレストランだけでも50件以上軒を並べセブで一番発展しているオシャレな場所になっています。
今年から成田~セブの直行便が一日に3便飛ぶようになり大阪や名古屋からの直行便も始まりました。セブ島は日本からますます来やすい島になり、フィリピン留学の生徒だけでも毎年1万人以上訪れる日本から一番近くて便利な英語圏になったのです。
熱いひと時
有名人もちょこちょこいらしていています。名前は言えないのですが素敵な歌姫がフィリピン留学されていました。「紅白歌合戦」にも何度も出演された有名人です。高学歴な方なので英語はとても綺麗に話されるので授業は一番高いレベルでした。
フィリピン留学なさるのを秘密にしておかなくてはならなかったのでしょうが、初めての著名人で舞い上がって歌姫が来ると先生に言ってしまったのです。彼女の歌はフィリピンでも有名なので盛り上がってしまいました。どんどん話が進んで入学式で歌を歌ってもらうお願いをしてしまったのです。
プロの方は鼻歌で簡単に歌うことはなさらないのですね。たとえ一曲でも歌う時は真剣に力を込めて歌われます。泣き出す生徒までいる迫力ですから当時いた生徒さんはラッキーだったと思います。
もっとも後でやんわり諭されてしまいました。
「藤岡さん。私達のような仕事をしているものはプライベートではゆっくりしたいのです。わからないよいに配慮をして頂けると嬉しいものなのですよ」
気さくな方で、お酒も大好きだったので毎晩一緒に飲んでいました。セブに唯一のデザイナーズホテルに滞在していたので、そこのおしゃれなバーです。
彼女の歌に対する思いを聞かせて頂き、私の他愛ない話にニコニコ笑ってくれたのでした。
一緒に小さな島に行ったのです。「何もなくても豊かな島」です。水も電気も無い一周歩いて15分ほどの島です。600人程の陽気な島民が住んでいて音楽をこよなく愛しています。
潮が引くと船は島まで近づけません。少し沖から海の中を歩いて島に行くのです。スカートをまくって歩くのですがびしょびしょになっていました。
二人で上陸すると大歓迎をされたのです。
島に小さなカフェがあり壊れたピアノが一つあります。調律もできていない、出ない音すらあるピアノですが島の宝物です。島民がギターを持ってカフェに集り大音楽祭が催されました。
島に歌えない男はいません。恋の時期になるとギターを持って女の子の家の前で歌うからです
今日は日本の歌姫が来ているので嬉しくなって昼間からお酒を飲み歌ったり踊ったりと大興奮です。
島の元村長がシャツお腹の上までまくって踊り出した時でした。歌姫が島民の輪の中に混ざって歌い出したのです。海の目の前の砂浜に屋根しかないカフェで彼女も裸足でした。マイクも伴奏もありません。透き通ったよく通る声が聞こえたのです。一瞬波の音まで止まって彼女の声だけが響いたのでした。このまま100年続けば良いのにと思いました。