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第2章 フィリピン留学編

第37話 そしてすべてが無くなった

重要な事は自分でやる


「自分の目で見てこなければ」との思いで私がレイテ島のタクロバンに入ったのは台風から1週間たった後です。

「どうしてらいこうが行くの? 誰かに見てきてもらいましょうよ」ゼットが必死で止めます。

「らいこうは日本人だから目立つわ。危険よ」デザリーが冷静に言います。

「そうよ、まだ軍隊しか入っていないのよ。私達が入れる状態ではないわ」ノリーンが言うと、ドーリーが「食料も十分に行き渡っていないのよ。強盗や略奪が頻発しているってニュースが言っていたわ」

大騒ぎになってしまいました。

今、行かないわけにはいきません。私を育ててくれたフィリピンが危機に面しているのです。

「今回は何が何でも世界中にいるオンライン英会話の生徒から募金を集めなくちゃだめだ。自分の目で見ていないものは説得力がない。先生の家族だって被害にあっている。何もしないなんてできないだろう」

もうみんなあきらめていました。だいたい言い出したら聞かないので「らいこうが行くなら私達も行くわ。みんなで行きましょう」ゼットが言います。

私は答えました。

「僕の車で行くから最少人数で行く。今回はフィリピン留学の警備員も連れていくから誰か一人付いてきて」

一番若いドーリーが直ぐに「私が行くわ」と手をあげたのでした。

まだ災害直後だったので交通機関も船しかなく、その船も貨物船でした。さすがに今回はビビリましたが、実際に行ってみてショックを受けました。

高潮と強風で何もないのです。最大瞬間風速105メートルと聞いてもピンときていませんでしたが、すべての電柱が根こそぎ折れてしまい。トラックが木に引っ掛かっているのです。少し想像してください。

たくさんのヤシの木が生えているフィリピンの海岸線、そのヤシの葉があるはずの上半分が台風の強風でもぎ取られてないのです。電柱のような葉っぱのない木が無数に生えていました。

すべての家が流され、ガレキの中に枝のない木が立っている様はまさに地獄絵図です。船が内陸奥深くまで流されていた光景は日本の震災で見た映像そのものでした。

ボランティアの場所を見つける

話が少し戻りますが台風の直後ITパークの私の学校は日本のマスコミの最前線になっていました。

オンライン英会話をやっているのでセブ島で最大、最速のネット回線を持っていたからです。日本からNHKさんTBSさんテレ朝さん共同通信さんが来られフィリピン留学の教室の中にオフィスを作り日本に情報を送っていたのです。

レイテ島の為になるのであればと何でもしようと思い協力していました。先生を二人ずつ秘書として張り付けてのお手伝いです。運転手の手配から水や食料、発電機の手配など大変でした。日本のマスコミはセブ島からレイテ島に渡っていたのです。

当時まだ共同通信社がタクロバン空港に基地を作っていたので、フィリピン留学の生徒が作ったおにぎりを持って陣中見舞いに行きました。空港では世界各国の軍隊が休みなく活動しています。ヘリコプターだけでも数十台が常時行き来しています。

道路が使えないので空から食料を配っていたのです。管制塔が被災して使えないので目視と無線での指揮です。空港の空地には無数のテントが張られ物資や燃料が山積みになっていました。

記者の方から情報を聞いてボランティアをする場所を探し始めました。タクロバン市内から離れると援助の手が回っていないと聞いたので車で南下したのです。10キロほど走った所で教会を見つけました。教会の駐車場にたくさんの子供たちが帰る家も食料も無く非難していたのです。

1000個のパンを持って来ていたので、すべて教会に降ろしました。何も食べていなかったのか本当に嬉しそうでした。今は軍に頼るしかありませんが、子供たちの笑顔を見ていて必ず援助物資をもって帰って来ると誓ったのです。

牧師さんに何が必要なのか聞きました。

「子供たちは冷たい非常食しか食べられていない。もう一度来て頂けるのであれば何か温かい物を食べさせてあげたい」
と言われたのです。

被害があまりにも広範囲に渡っているのでどこから手を付けたらよいのかわかりませんでしたが、活動の拠点を見つけました。

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