第2章 フィリピン留学編
第39話 フィリピン留学ありえない経験
ついに出航レイテ島に向かう
船が出発したのは11時を回っていました。
船はたくさんの2段ベッドがならんでいます。車を入れる貨物室の他に二つデッキあるのですがすべて2段ベッドで埋め尽くされていて1000人位いの乗客がいます。
落ち着いたころシェフのドーミンが話し始めました。
「僕はタクロバン出身でやっと家族に会えるので嬉しい。台風の当日帰りたかったけど生徒の食事を作らなくてはならなかったので言えなかったんだ」
「らいこう、今回の炊き出しに呼んでくれてありがとう」
申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
ドーミンとは10年前韓国の学校の隣で一緒にレストランをやった仲間です。今は夫婦で働いてくれています。
台風の後、フィリピン留学の学生用の食事を出すのにどうしても外せずに帰してあげられなかったのです。台風直後家族と連絡が取れず奥さんと一緒に泣いていたのを知っていました。
その後、家族の無事が確認でき、今日は家族の為にたくさんのプレゼントを持ってきています。誰よりも大きな袋をもっての参加です。
実はこの過酷なスケジュールのボランティアは先生に大人気です。みんな休みを取ってでも参加したいのです。
そしてフィリピン留学の生徒も5人参加しています。生徒は船賃もそこでかかる食事も自分持ちでの参加です。今回はイラン人生徒が参加していました。たくましいイラン人は力仕事なら任せてくれと自ら申し出たのです。援助に国境はありません。
朝、港について車でタクロバンについたのは8時半を回っていました。そこから炊き出しの準備です。現地の人達にも協力してもらいシェフのドーミンがどんどん作っていきます。地元の為に働けるのが嬉しそうです。
今日は彼の父親も手伝いにきています。家族は被災しているのですが息子がボランティアに来ると聞いて来てくれたのです。お昼までに食事の準備が終わったので彼は父親と一緒に地元へ帰っていきました。
今回はいつもの炊き出しの他にプレゼントもあったので総勢1500人以上の住民がきていました。
先生とフィリピン留学の生徒と力を合わせて頑張ったのですが、食事とプレゼントを配り終わったのは3時半を過ぎていました。
窓も壁もない、タクロバン空港で一夜
私は先生とフィリピン留学の生徒と一緒に行ったボランティアの後、上海オフィスに向かわなくてはなりませんでした。バスで被災したタクロバン空港に向かいました。台風から一か月たち3日前から空港が一部使えるようになっていたのです。マニラ経由で上海です。
フィリピンから気温ゼロの上海なのでしびれますがクリスマス休暇を利用して今後の中国展開の打ち合わせです。
またトラブル発生です。
なんと飛行機もオーバーブッキングで乗れなかったのです。
タクロバンに知り合いはいません。一緒に来た先生やフィリピン留学の生徒は私を空港に送り届けて100キロ離れた港に向かっています。
ホテルどころか水も電気もない空港で飛ばないではすまされません。しかしコンピュータが正常に動いていないのでチケットの管理ができていなかったのです。
次のフライトは翌朝の9時20分といわれた時は気絶しそうでした。空港で一夜を過ごすしかないのです。
管制塔のガラスもすべて割れています。空港のタラップどころかそれを付ける壁すら台風で吹き飛んでいるのです。屋根はかろうじて直していますが窓も壁もないので中から滑走路が見渡せてしまいます。
電気も夜は発電機を止めるのでありません。水はペットボトルがあるだけです。どうしよう、さらに気が遠くなりました。
飛行場の被災だけでなく空港で働いているスタッフの家族も大勢亡くなっているはずです。そんな彼らが必死に働いて飛行機を飛ばしているのですから怒るわけにはいきませんでした。
手書きで書いたスケジュール表をもらい明日の飛行機の説明を受けます。夕方になり日が落ちるころ空港で働くスタッフは被災したそれぞれの家に帰ってきました。
最高のクリスマスプレゼントを貰う
真っ暗な夜空に満天の星空広がっていました。昼間、先生とフィリピン留学の生徒と活動していたのが嘘のような静かな夜です。電気がないので所々ロウソクの明かりが揺れています。
ゆっくりと星空を見上げていたら初めてフィリピン留学に来た時の事を思い出していました。
「もうすぐクリスマスか」
ちょうど11年前、2005年のクリスマスに雪だるまを持ってきたのが始まりです。8年前オンライン英会話へ参入するのを決めたのもクリスマスでした。そしてアッキーとフィリピン留学の学校を作ると決めたのもクリスマスです。
私のフィリピンンのビジネスはいつもクリスマスが転機になっていたのです。
7人のスーパーティーチャーと始めた英会話学校が、今では700人を超え私が11年前にいた学校より多い先生がいます。オンライン英会話の生徒も会員が10万人を超えていて、フィリピン留学の生徒も年間5000人来ています。
まさか海外でこれほど展開するとは思ってもいませんでした。フィリピンが私の人生を変えてしまったのです。
今日まで慌ただしく休む暇がなかった人生なので神様が私に時間をくれたのかもしれません。
空港にあった板を床に敷いて星空を眺めいたらふと思いました。
「英語が話せるようになって人生が変わってしまった。色々な人に出会い信じあえる仲間がいる。単なるバイク便だった私がフィリピンで世界一の果報者になれたのかもしれない」
風が吹き抜ける音以外シーンと静まり返った中、空には東京では決して見る事ができない程たくさんの星が輝いています。私は世界一素敵なクリスマスプレゼントを貰いました。
被災した飛行場での一晩でした。前日の夜はカーフェリーの2段ベッドでよく眠れなかったのと、先生や留学生と一緒に行った炊き出しで疲れていたのでしょう。いつの間にか板の上でぐっすり寝むっていました。
朝早く昨日担当したスタッフが来ました。気になっていのだと思います。
最後空港を飛びたつ時に
「迷惑をかけて申し訳ありません。今のタクロバンは酷い状態だけど、必ずもう一度来て下さいね。その時までに必ず復興させます」
「本当は、本当は素敵な街なんです」
今でも耳を離れません。
ボランティア活動は続けています。タクロバンが本当に素敵な街に戻るまでは私も引き下がれません。
次はいよいよフィリピン英会話最大の危機です。