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第2章 フィリピン留学編

第40話 「ピンチはチャンス!」全ての力を結集

地球の裏側からの助っ人

2013年12月、台風の後もボランティア活動などでバタバタしていたのですが私の学校にも深刻な被害がでたのです。

風評被害による生徒の激減です。いきなりフィリピン留学の問い合わせがピタッと止まってしまったのです。

150人いたフィリピン留学の学生が37人まで減ったのですから大変でした。

めい一杯投資した後におきた黒田バズーカ砲、地震、台風に続く最大の試練が訪れたのです。

ドーリーが叫んでいます

「やっぱりオンラン英会話でカバーするしかないのよ」
「私達が潰れてしまったら何にもならないだからね。みんなで知恵をだすのよ」

ゼットも必死です。

ノリーンが
「レイテ出身の先生は実家に戻っているから人数は減っているわ」
「今、フィリピン留学が減っているから先生をオンライ英会話に回して最大1日5000クラス」

デザリーが先生の数を調べながら話すと直ぐにゲイルが
「日本で1日3500はやれるわ」
「残りは中国と韓国ね。イランはどうなっているの?」

ミアが聞き返しました。

ブラジルから連絡がきました。

「準備中だけど少しでも始められる。少し先生を分けてくれないか?」

地球の裏側からの応援です。今から1年半前サンパウロに渡った仲間がいるのです。時差の関係で南米から授業をやると日本、韓国、中国などで忙しい時間帯と反対の時間を埋める事ができるのです。

スカイプでアメリカから手伝ってくれているスタッフと話をしている時に気が付いたのです。

「アメリカだと丁度ピーク時間が逆になるんだ。アメリカ人が英語を勉強すればいいのに」
「ははは、らいこうアメリカ人は結構英語上手よ」

などと冗談を言っていたのですが

「らいこう、南米は?メキシコや南米からたくさん英語を習いに来ているわよ」
「よし! それならブラジルにしよう。ワールドカップやオリンピックがある」
「それって見に行きたいだけでしょう」

けっこう簡単な理由でサンパウロにオンライン英会話の事務所が出したいと思うようになっていたのです。その後オリンピックやワールドカップの話題が出るたびにネタで話をしていました。

ところでポルト語は喋れるの?

丁度一年前の2012年、10年前のフィリピン留学で出会った仲間と忘年会を兼ねたクリスマスパーティーで飲んでいた時です。

「じゃあ俺が行くか」

ヒデが言い出したのです。彼は大手外資系製薬会社のMRでカリスマ的に売り上げていました。

「どうするの仕事? あなたトップセールスでしょう? うちにはお金ないから給料ないよ」
「開拓したら市場はもらえるんでしょう?」
「ははは、そりゃそうだ。ブラジルでも南米でも上げるけど自分で開拓するしかないよ」
「そもそもヒデはブラジル語、ポルトガル語喋れるんだっけ?英語も下手ジャン」

と突っ込みが入る中。

「大丈夫だよ。何とかなるって、それにほら、俺、モテル」

大爆笑でした。

「そもそも36歳になって独身でどこがもてるんだよ」
「だいたいヒデのビジネスモデルはモテルだってよ。こりゃーだめだわ」

ブラジル人の彼女を作って言葉を覚え、ビジネスを立ち上げるそうです。

冗談だと思って皆でからかっていたら真剣で

「いいや、絶対開拓してくるって。会社を辞めて不撤退でいくからやるだけやらせろ」

少し酔ってもいたのでしょう。

「人生こんなチャレンジングな事はそうそうないぞ」

語り始めました。

「オンライン英会話は大革命が起こせる。それにフィリピン留学の学生だって送れる。ブラジルをよこせ」

さすがに「モテル」だけのビジネスモデルでお金を出すのは嫌だったのですがその後も真剣で会社まで辞めてきてしまったのです。航空券代を出すことにしました。まあ出すといっていも溜まっていた私のマイルでチケットを予約しただけですが。

「そういえばもう1年も経ったんだ」あまりに遠い地球の裏側なので助けるどころか、見に行く事すらできていませんでした。一人、異国の地でオンライン英会話の登記からウェブページの作成、マーケティングに至るまで、語学学校でポルトガル語の特訓をする所から始めたのです。

たいしたものです。私は英語が通じるフィリピンですら悪戦苦闘しているのですからブラジル開拓が簡単な道のりであったはずはありません。

フィリピン留学が大ダメージを受けているこのタイミングで力になると言っていたのですから涙がでました。

「よくぞ立ち上げた」

絶対にピンチはチャンス

中国チームも必至にがんばっていました。日本に次ぐ規模に育っていたのでフィリピン留学生の獲得に奔走していたのです。

「らいこう、オンライン英会話を今更増やしてもたかがしれている。やっぱり減ってしまったフィリピン留学の生徒を何とかしなくちゃだめだ」

ワンジンから連絡がきました。

「秘策がある。いまから直ぐにセブにいくから」

台風が過ぎ去って直ぐに上海から乗り込んで来たのです。

ワンジンは

「ピンチは絶対にチャンスだ。いまからセブ中の英会話学校を回る。被害が出ているはずだから転校生を探してくる。必ず需要があるはずだ」

と言ってセブで営業をかけると言い出したのです。

確かに私の学校はセブの再開発が行われているエリアの最新ビルにあるので被害は最少でした。台風の通過中にもネットが使えたぐらいです。

学校によっては大きな被害がでているところもあり留学をあきらめて帰国する生徒も出ていたのです。

「ワンジン、ダメだよ。日本人としては敵失に乗じることはできない。かえって評判を落とすよ」

「何、きれいごとをいっているんだ。そもそも敵失じゃないじゃないか。天災で困っている生徒を救済するわけだから「人情」だ。大丈夫、日本人には声をかけないよ。中国と台湾、韓国の生徒を狙うから」

中国、台湾、韓国のフィリピン留学のエージェントに電話をかけ次々とアポイントをとっていきました。

エージェントにはクレームや相談がたくさん寄せられていたのです。

直ぐに今まで取引をしていなかったエージェントまで視察に来ました。

ワンジンが力説したのです。

「韓国と学校と一番違うのは教育の中身です。先生全員を正社員として雇い品質にこだわっています。5年間トレーニングを受けた最高の先生がいます。皆さんとお会いできたのも「縁」です。私達は「縁」と「絆」を大切にやっています」

値段の違いはないのですが、まだ初めて一年ちょっとの私達は中国、台湾、韓国のマーケットに食い込めていなかったのです。

大ピンチだったのですが凄いチャンスになったのです。大挙して留学生が移ってきました。

もともと韓国の学校を徹底的に研究して作っているので設備では負けません。

むしろ環境はバツグンですし、メソッドもできています。オンライン英会話とフィリピン留学が一緒にできる学校も私の学校だけです。他国に浸透していなかった日系の英会話学校が一気に世界へ広まったのです。

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