韓国人の韓国人による韓国の為の学校 | QQ English創業物語 | オンライン英会話ならQQEnglish

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第1章 オンライン英会話編

第6話 韓国人の韓国人による韓国の為の学校

アジア最大の語学学校

私がどのような学校で勉強していたのかお話しします。日本にいたら経験できない環境が人生を変えたのです。人生とは変えようと思っても簡単には変える事はできません。不思議な「縁」と言うきっかけによって思わず変わってしまうのです。私を変えた「縁」も予期しない所にありました。当時はオンライン英会話などありませんからフィリピン留学です。私がいたのはアジア最大の英会話学校と謳われた韓国系の英会話学校でした。生徒は500人、先生も300人以上いたのです。

学校は古いホテルを改装した6階建てのビルなのですが、港に近いスラム街のような所にありました。町から離れているので日本人が歩けるような場所ではありません。部屋は一人部屋を希望したのですがメイド部屋かスタッフルームを改装した窓の無い狭い部屋です。シャワーは一人部屋だけ先月からお湯が出るようになったと言っていました。4人部屋は当時水シャワーだったのです。
東京でのシングルライフはウォークインクローゼットがある12畳の寝室にルーフバルコニーのある部屋でした。初めは4畳半一間の生活に戸惑ったのですが住めば都でトイレもシャワーもベッドから近く快適でした。人間、生活するのにそんなに広い敷地はいらないと初めて学習したのです。

話を戻します。学校は元ホテルなので中庭にプールがあります。そこに使い古されたパラソルとプラスチックの椅子とテーブルがあり授業の合間にくつろぐ事ができたのです。
クラスルームは大小さまざまで一対一から、一対二、一対四、一対八までありトータル300部屋位はありました。
日本の感覚からしたら手作り感いっぱいの設備ですが全くったく新しい発想の学校だったのです。一歩も学校の外に出ることがなく完結してしまうのです。食事も、洗濯も全部学校内でできます。授業には自分の部屋から先生の待つクラスまで歩いて行くだけなのです。学校内の設備には自習室や簡単なジム、カフェ、映画が見られる部屋までありました。
韓国の大学生を対象に作っているので、お世辞にも快適な環境とは言えませんでしたがフィリピン留学と言うのは不思議なものです。人生をも変えてしまう「縁」があったのです。

人生をも変える縁

スーパーティーチャー・ミアとの出会いはフィリピン留学です。一対四のグループレッスンの先生で私と韓国人二人がクラスメートで一人欠員でした。韓国人はカップルだったのですがいつも私を仲間に入れてくれ一緒に行動していたのです。同時期に来たのでバッチメイトと言われて仲が良くいまだに連絡を取り合っています。
「らいこう、ミアが産休で明日から違う先生が来るようだよ」
「ミアの授業が良かったから心配だね」
翌日驚きました。
「私の名前はティーチャー・グリゼット。ゼットって呼んで」
生徒の中で一番人気の先生がバックアップに入ったのです。ほんの数回、授業を受け持って直ぐに違う先生にバトンタッチしましたがゼットともこの時出会ったのです。彼女の発音は小気味いいリズムがあって聞き取りやすく、生徒の特長を引き出しながら会話をさせていく洗練された授業でした。代替えの先生が付くのもオンライン英会話と違ってフィリピン留学の特徴です。

ミアに女の子が生まれたと聞いて出産祝いを持ってお祝いに行くことにしました。
「らいこう、何が良いと思う?」
働きながら子育てをしているので「ベビーカーにしよう」と言う事になりました。バッチメイトでお金を出し合いベビーカーを買ってお祝いに行ったのです。
彼女の家は町から遠く、山の中腹にありました。タクシーに帰られてしまうと交通機関がないので待ってもらい家を探したのです。
特に住所がないので聞きながら探すのですが直ぐにわかりました。ミアは地元では有名人だったのです。町一番の秀才で地元の期待の星でした。

家に着いて驚きました。玄関もなくいきなり家の中に入れます。窓もなく、いいえ窓はあるのですがガラスは無く竹でできた戸を閉めるだけと言った感じです。そして水道すらなかったのです。
「ミア、いつもシャワーを浴びるって言っていたけど水道がないじゃない?」
一緒に来た韓国人の女子が聞いています。
家の一角に大きなカメがあり水が入っていました。
「弟が下の川から水を汲んでくるのでカメの水を使うのよ」
フィリピンの田舎の生活は私が想像していたものと全く違ったのです。
ベビーカーは失敗でした。とても喜んでくれたのですが、山間の村で道は舗装してありません。平らな場所も少ない所だったので移動の手段にはならなかったのです。

貧しい村で頭のいい子が生まれると地元でお金を出し合って大学まで行かせます。一人成功者がでるとその子が村を助けて生活をしていくのがフィリピンの習慣なのです。
学校の中だけでは気が付きませんでしたが「人情」が村を支えていました。何かをしたから何かをもらうと言う合理的な発想はありません。無償の愛情によって支え合っていたのです。
目先の利益を分け合うGive and Takeの関係とは寂しい関係だと思い知らされました。見返りを期待しないGiveの「人情」によって助け合う関係こそ世界に誇れる最強の関係だったのです。

セブに雪だるま、大きくなって帰って来る

直ぐに結果は出ませんが思わぬところで帰って来るのが「人情」です。純粋に喜んでもらいたいと思ってやったことなのですが私がフィリピンでの英会話学校を立ち上げる時に大きくなって帰って来たエピソードがあります。
11年前、私が生徒としてオンライン英会話とフィリピン留学をやっていた時の事です。
「らいこう私達は雪を見たことがない。一度でいいから雪があるクリスマスを経験してみたい。私達は外国にいけないから一生見られない」
東京にいたのでオンライン英会話での会話だったと思います。
確かにビザの問題があるので海外に
連れ出すのは難しいですが「雪なら何とかなるかもしれない」と思ったのです。
丁度クリスマス前に時間ができるのでセブ島に戻ることができる。本業の運送屋魂に火が付いたのです。
北海道の仲間の会社に電話しました。
「フィリピン人が雪を見たいと言っているんですが何とかならないですかね?」
「え? なんでフィリピン? フィリピンで何をやっているんです?」
「え? 英語の勉強?」
「フィリピンは英語なんですか? どうせ遊んでいるだけでしょう?」
当時はこんなイメージでした。
「藤岡さん少し雪には早いよ。あと1週間後だと雪だるまの宅配があるんだけど、待てないですかね?」
「いいや、どうしても12月17日のクリスマスパーティーに間に合わせたいんです。何とかならないですかね?雪を見られずに死んでいくと嘆いているんですよ」
「なんだかわからない話だけど、そんなに雪が見たいんですか。よっし、藤岡さん。僕が山に行って雪だるまを作って梱包します」

成田空港の荷物検査で映像をみたのですが雪は真っ白に映るんですね。その時は出国なのでうるさいことは言われませんでしたがセブの税関では大変でした。
何もないがらんとした空間に検査の台が4つ並んでいます。日本のODAで作った空港なので使い勝手に文句は言えません。
「開けなさい」
「いいや開けたくない」
「え? 税関で開けたくないと言ったのは君が初めてだ。開けたくないと言われて『はいそうですか』とは言えないだろう」
どんどん人が集まってしまい
「中身はなんなんだ?」
「雪だるまです」
「え? なんだって? 雪だるま? なんだそれは? 雪? え?」
一悶着あったのですが結局梱包を開けずに税関を通してくれたのです。
即、タクシーでクリスマスパーティー会場に向かいました。2005年、先生が300人集まった大クリスマス会だったのです。まっすぐステージまで担いで行って箱を開けました。
「らいこうが雪だるまを持ってきた~~」
どれだけ先生がびっくりして喜んだかは想像にお任せします。
物を運んで喜ばれる。運送屋冥利に尽きる瞬間でした。
その時は単純に雪を見せてあげたかっただけなのですが人生何があるか分かりません。4年後にオンライン英会話を設立したのですが当時を覚えていた先生が大挙して来たのです。条件が良かったわけではないのでGive and Takeの関係はありません。人は見返りを求めない「人情」で行動していると何年たっても助け合っていけるのです。

次はいよいよ私がオンライン英会話を始めたきっかけの話です。