「わたしが世界を目指すわけ」そんな大それた野望は、私にはありません。
世界共通言語である英語を話せない事にずっとコンプレックスを感じていました。今までの人生の中で英語が話せないもどかしさを特に強く感じたのは、2度程。1度目は、高校1年生の頃 初めての海外となった2週間のオーストラリアへのホームスティ。当時の時事ネタ。宮崎努事件や宮沢りえのヌード写真集等を喋れないながらも貧しい言語とボディランゲージでムリムリ会話する方法を体得し、日常生活に不便さをそんなに感じる事無く、それなりの充実感を覚え帰国。帰国後、自分の英語力を冷静に見つめ、英語の勉強を再度力を入れる機会に気づく事は、無かった。2度目は、30代前半で転職した、伊系ファッションメーカに入った時の事。当時の社長は、アメリカ国籍の日本人女性。怒ると、透明のガラス箱状の社長室で「stupid!!」と絶叫するような、アグレッシブな方で社員の殆どが帰国子女で構成されている会社でした。伊の会社なので、勿論イタリアから国際電話が日に何度もあります。伊の本社の人は、世界共通言語である、英語を用い会話をしてくれるのですが、英語すらままなら無い私は、帰国子女を隠れ蓑として身を潜め、直接の交渉毎を回避しながら日常業務を続ける様な毎日で、自分の無力さを痛感しながらも、それを補おうとせず、その後も唯唯時の流れに流されながら日々を過していました。そんな中、私にとって「晴天の霹靂」となる大きな出来事が起こりました。それは、34歳の時 癌を罹患しました。勿論、癌=死 ネガティブ感満載の病が、30代の私に降りかかるなんて想像もしていませんでした。涙が乾く間も無く、あれよあれよと事が進み、手術・抗がん剤・放射線治療・ホルモン療法を受け、現在も再発を防ぐ為、毎日の投薬を続けています。仕事を続けながらの治療は、正直大変でしたが、幸い経過が良く、再発等は、今の所見られません。治療も落ち着いてきたここ最近、髪の毛を取り戻し、容姿が戻り、合わせて体力も戻り、元の自分、日常生活を取り戻す事が出来ました。勿論再発の不安は過ぎります。だからと言って、負の渦のままにガラガラと暗く回り続けるのは、私は嫌です。
病になり、喜びも悲しみもあらゆる感情に大きく揺さぶられました、自分の死を感じるという事は、こういう事なのだと知りました。そして、同時に、自分を冷静に見つめ、自身の補う事が可能な不完全さに補おうともしなかった自分に猛烈な恥らいを感じました。人間は何時死ぬか誰も予測が出来ません。もしかしたら、この文を読んでいてくれる人も
次の瞬間 命の灯火を消しているかもしれ無いのです。ずっと無限である様に思っていた自分・人間の生命の脆さを知り、今まで以上に、命、残された日々、時間を大切に生きたいと思いました。今、QQイングリッシュで今年の6月からオンライン英会話を受講しています。きっかけは、私は、現在秘書の仕事をしています。私の周りに居る秘書の方は、皆英語をネーティブに話せます。そんな中に居る自分は、正直劣等感を感じます。少し前の自分だったら、その劣等感を直ぐに打ち消し、自分の出来る範囲で精一杯に働く事を選んでいたと思います。今の自分は異なります。埋める事が可能な自分のマイナス面は努力し、改善をする事。それは、救ってもらった命への恩返しでもあるのです。世界的共通言語の身につける入り口に40歳近くにしてようやく立った自分。先に続く道は眩し過ぎる程の光に満ちています。色んな肌の色・髪の色・声の音、宗教、思想、眩暈する程の様々な国の人に触れるチャンスを得ようとしているのです。英語を身につけるという事はこういう事なのだと、今更ながら知り、如何に自分が、小さな箱、世界の中で生きていたのかを思い知らされました。気づかせてくれたきっかけをくれたのは、病であり、病がもたらしてくれたギフトなのです。まだまだ初級の英語を学んでいる私ですが、いつか世界に飛び出せる程の会話力を身につけ、救われた命と供に見た事の無い世界を見て、沢山の会話をし、あらゆる考えに触れたいです。ありきたりの夢ですが、大きな大きな夢(野望)であり、今の私の大きな生きる力なのです